長野県松本市で学習塾をお探しの
小学生、中学生、高校生の皆様へ
お子さんの様子を見ていてこんなお悩みはありませんか?
◇勉強しなさいと口うるさく言わないとやらない。
◇通信教材は手つかずでどんどんたまってしまっている。
◇勉強のやり方が分からないとお子さんが口にしている。
◇部活動・習い事が忙しくて普段の勉強、何から手を付けて良いかわからない。
◇前の学年に習ったことが分かっていなくてどこまで戻ればよいのかわからない。
◇塾に通わせたいんだけど、月謝が高くて払い続けられるか心配。
◇総合テストの勉強をどう進めたらよいかわからない。
◇仲の良い友達と塾に通っているが、友達とも先生とも馴れ合いになっていて惰性で通ってしまっている。
◇通っている教室が騒がしく勉強に集中できないことがある。
はじめまして、清光塾の教室長の小平貴英です。
この度は、当教室に興味を持って下さり、ありがとうございます。
(以下、皆様が目の前にいるイメージで書きました。ところどころ話し言葉で書かれておりますご了承ください。)
まず、私自身のご紹介をさせて頂きますね。昭和50年の6月、長野県生まれの長野県育ち、生粋の長野県人です。高校卒業まで八ヶ岳の麓の諏訪郡の原村で育ちました。幼いころから近所の川で魚を釣ったり、泥だらけで虫を追いかけたりしていました。
正直なところ中学生になってもあまり勉強をしていなかったので、成績も下から数えた方が早い順位でした。通知表も「2」が多かった気がします。
でも、変わる、転機があったんですね。
確か、中2の夏休みだったと思います。今まで、ほとんど勉強しなかった社会の勉強をしたんですね。毎日続けるのは確かに楽ではなかったです。
でも、休み明けのテストで、クラス1位の点が取れたんです (^o^)/
「えっ?本当に?1位なの?」正直そんな気持ちでした。その時、先生が皆の前でほめてくれたんです。「小平やったな!」このときの感動は今でも忘れずに鮮明に覚えています。
努力が結果となる。そして、誰かに認めてもらうことで人はやる気になる。
高校は、地元の東海大学第三高等学校に進みました。最初のテストが1位だったんです。それで、調子に乗ってしまったんですね。勉強をしなくなって、又成績は急降下。全国偏差値35になってしまいました。(^_^;)
案の定、現役では大学に受からず。浪人してしまいました。でも、何としても大学には受かりたい。その一心で朝9時から夜11時まで勉強漬けの1年を送りました。その甲斐あって高3のときには受からなかった大学。国学院大学に合格しました。(^o^)
あきらめずに努力を続ければ必ず、報われる。その時、確信しました。
今まで多くの子ども達の指導をさせて頂きました。担当した生徒は500人を超えております。その生徒達の名前を聞くと、すぐにでもその生徒の顔と思い出が鮮明に頭に浮かんできますね。
10年前、中2で入学したある男の子は、今年、社会人になりました。彼は、先日「お陰さまで就職が無事に決まりました。お世話になりました。」とわざわざ電話をくれました。涙が出るほどうれしかったですね。あんなに、ヤンチャだったのに(彼は私のことを、いつも睨みつけ。いつも私と衝突していました(^o^)。立派に社会人になったのが本当に誇らしかったですね。
やはりこの仕事をしている喜びは、子ども達が自らの目標を見つけ、そして、その目標を達成していってくれる姿を見ることですね。(^o^)
昨年担当したある女の子は、中学1・2年と学校にはほとんど通えずませんでした。精神的に多くの悩みを抱えていたんですね。しかし、私と一緒に目標を日々確認し、励ましながら、3年生では学校に通い始めました。公立高校に行くためには中3の出席日数と内申が必要なんですね。
1年間通い、塾でも勉強を頑張り、見事、志望校の公立高校に合格してくれました。親御さんも、本人も、私も涙が出るほど感激しました。
彼女は人生を変えたんです。いまは、教員になりたいという夢に向かって頑張っております。
そんな生徒達との出会いがあって、今の私があります。子ども達、親御さんのおかげでここまで人間的に成長させてもらったと感謝しています。
そして、これからもこの松本地域の生徒さんを一人でも多く志望校に合格させ、その子の夢の実現に力を尽くしたいと思っております。
現時点での生徒さんの学力は関係ありません。もっと、できるようになりたい。その気持ちが少しでもあれば私達は応援します。君達の可能性は無限です。
自分の力を信じて教室のドアを開けて下さい。
長々と書いた自己紹介を最後まで読んで下さり。本当にありがとうございました。
清光塾 代表 小平貴英